Kashiwa Shoko History
柏商工ヒストリー
現在の柏商工に至るまでの変遷をご紹介。
南柴田工場
【スリッターライン操業開始】
南柴田工場操業当時はスリッターの知識も浅く、手探りでの稼働の為、加工数量は雀の涙。外部より経験者を迎えて増加基調となり、その後受注が安定し軌道に乗っていく。加工数量は4,000㌧と現行の約4.0倍。工員数に違いはあるものの、今とは比較にならないくらい人の動きは早かった。半田工場
【レベラーライン操業開始】
半田工場操業当時はレベラーの寸法や形状精度が低かったものの、高い品質要求が少なかった為まだ通用する時代であった。生産数量・効率最優先。故に機械設備は独自メンテナンス止まりで、更新は壊れてから直すが通例。
加工数量は3,000㌧と現行の約4.0倍。南柴田工場同様、工員数に違いはあるものの、今とは比較にならないくらい人の動きは早かった。販売・仕入れ
【創業期】
創業時、今ではスクラップ同然の物を仕入れ、加工販売を行っていた。愛知県進出後は新日鉄(現日本製鉄)と取引きが可能となる。経済成長期に多くの新製品を開発する中で発生する2級品を優先的に購入でき、商売の柱となった。好景気では臨時ボーナスが出る時代もあった。【現在】
日本製鉄をはじめ、国内外問わず多くのメーカーから幅広く仕入れが可能に。安定供給とニーズに見合ったお値打ちの製品販売が強み。現在も継続して仕入先を拡大しており、品質・価格・納期面で最適な提案が出来るよう、心掛けている。
かつて自動車向けの販売が中心だったが、近年は市場変化に合わせて業種を拡大し、自動車向けが80.0%から半分に縮小。現在は建築・家電・鋼製家具など多様な分野へ販売を拡大しており、特定業種に依存しないバランスの取れた販売構成にシフト。
薄利多売ではなく、母材・機械設備・トラックの『自販三種の神器』を以て小ロット多品種即納体制を構築。付加価値の提供にて再生産可能な利益を確保し、末永いお付き合いを実現する。福利厚生・イベント
【創業期】
景気が良く、社内イベントが非常に活発だった。本社・工場を問わず頻繁に飲み会があり、毎年慰安旅行も実施。海外旅行に行く年もあった。
宴会は大規模で、当時らしく上司や先輩にお酌をして回る風習もあった。二次会は先輩が費用を負担することも多く、活気のある雰囲気だった。
また、会社でクルーザーを所有し、社員で海水浴や釣りに出かけることもあった。さらに野球場の年間シートを契約し、社員や取引先が利用できるなど、交流の機会が多い時代だった。
宴会は大規模で、当時らしく上司や先輩にお酌をして回る風習もあった。二次会は先輩が費用を負担することも多く、活気のある雰囲気だった。
また、会社でクルーザーを所有し、社員で海水浴や釣りに出かけることもあった。さらに野球場の年間シートを契約し、社員や取引先が利用できるなど、交流の機会が多い時代だった。
【現在】
景気に左右される事なく食事会や飲み会はかなり多め。
理由はシンプル。社員同士の繋がりが仕事の質を高めるから。
社内イベントは本業の延長。社員の家族や取引先を招待し、交流を積極的に深める機会。
他にも国内/海外旅行手当、誕生日手当、健康を考えたサラダなどの軽食提供など、数多くの福利厚生が充実。
社員が自ら企画する飲み会やBBQなどのイベントで、"皆が自然に集まる"風土が根付いた。お休み
【創業期】
とにもかくにも忙しく、有休の取りづらい雰囲気。取る事に対して怒られる事も。
皆勤手当、有休買取制度も有り、休みを取らないことが評価された。
【現在】
年間休日は、大手企業と比べて多くはない。それでも休みたい時にちゃんと休める。有休が取りやすく、無理なく働ける環境づくりを目指している。 例えば、有休奨励日を毎月1回と大型連休に設置。 有休が20日未満の社員には『有休ゼロ消化』という特別ルールを設け、奨励日を気兼ねなく休めるように配慮している。
人
【創業期】
髪型にご注目。
【現在】
雰囲気の明るさにご注目。
History
沿革一覧
昭和15年5月 | 大阪市西淀川区にて柏商工株式会社設立・操業開始 |
昭和38年12月 | 東海市東海町にてレベラーライン操業開始 |
昭和59年6月 | 東海市南柴田町(現本社・南柴田工場)にて名古屋事業所開設・スリッターライン操業開始 |
平成3年4月 | 半田市潮干町にてレベラーライン操業開始 |
平成25年8月 | 大阪本社及び東海工場閉鎖 本社を名古屋事業所に移転 |
令和4年7月 | 半田工場新事務所竣工 |
令和6年6月 | 本社新事務所竣工 |



